出雲そばのイラスト
『古事記』が語る神話は、3割から4割が出雲系とされる。中央政権が編み、自らの正統性を知らしめるはずの伝承なのに、である。そこに隠されたのは大和と出雲の征服と服従の歴史か、それとも連携の記憶か。近年の研究成果から読み解いてみよう。

 大和王権の成り立ちを後世に伝えるにはそぐわない一地方の物語が、これほど挿入されたのはなぜか。この問題をめぐっては、覇権を伸ばす中央勢力に出雲が屈し、傘下に入っていく過程を暗に示唆していると理解されることが多い。

 奈良時代から平安時代にかけ、出雲大社でオオクニヌシをまつる出雲国造が新任時に朝廷で執り行った、天皇の世をことほぐ神賀詞(かむよごと)の奏上儀礼を、服属の名残と見なす意見も根強い。

 ただ、そこにはなにか奥歯に挟まったような違和感、もどかしさがある。実は、『古事記』とほぼ同時期に成立した『日本書紀』は出雲神話にほとんど触れない。だから、ここに出雲侵略への負い目にも似た大和側の感情をかぎ取る研究者もいる。そんな出雲の複雑さは、考古学的にも見て取ることができそうだ。

…続きはソースで(会員記事)。
https://digital.asahi.com/articles/ASP3V563TP3JPTFC02B.html
2021年9月15日 11時30分

前スレ:https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1631685109/

★1が立った日時:2021/09/15(水) 14:51:49.89
  1. 乞食w
  2. 本文では「征服と服従の歴史か」となっているのにタイトルでは「服従の歴史か」となっているのがとても朝日らしい
  3. 和をもって貴しと為す
    って言えないのけ
  4. あんたらの国と100%同じ前提で話始めるなよ
  5. ほんとうはオオクニヌシより強大なアフリカヌスのミコトという
    黒人のマッチョな神がぶいぶい言わせてたにちがいねえ
  6. >>5
    民族紛争だからそんな甘っちょろいものじゃないでしょ
  7. 四拍手は呪いの死拍手とか言い出しそう>朝日
  8. 出雲が古い渡来人で、大和が新しい渡来人。
  9. >>5
    古代の皇族は兄弟同士や親子同士でも、戦争しているのに
    和もクソもないじゃん
  10. うんこからよー見とく?
  11. 出雲で発掘された大量の銅剣には✕の刻印がされていたとか何かの本で読んだが、武装解除したのかなと思った。
    あるいは武装蜂起を計画したが、発覚しそうになり隠したとかw
  12. 記紀に載っている伝承等は、ページ数≒時の勢力図だったと思うから
    出雲神話は、神武東征に次ぐページ数だから大和政権内で大きな勢力を持ってたはず
  13. 古代の天皇が代が変わる度に神話が付け足されていったと考えるより、
    8世紀頃に各地域の神話や逸話を集めてまとめて
    創作したと考える方が無理ないよな。
  14. >>16
    銅剣は戦闘用ではなく祭祀用とされる。
  15. 古代 東海に浮かぶ小倭列島を平定した大韓は天皇家を創設した
  16. >>14
    アホ
    そんなことばっかりしてるから喧嘩すんなよってわざわざ憲法に書いたんだろ
    巨人軍は紳士たれと同じだよ
    紳士なんじゃなくてどうしようもない輩ばっかりだから紳士に成れよって戒めた
  17. >>22
    その頃の朝鮮半島は、三国史記を見ても小国が分立している状態だが、大韓ってどの王朝のことだ?
  18. この辺の支配層は大陸か半島からの渡来人なんだけどな
    ジャップは認めたくないだろうけどw
  19. >>20
    そうなんた?
    荒谷古墳が出来た時代には戦闘用じゃなく祭祀用だったんだね。

    ✕印は何を意味するんでしょうか?
  20. 出雲や大和に比べ、縄文に近い弥生?
  21. >>26
    ジャップのほとんどは渡来人だが
  22. >>22
    朝鮮半島には、大和以前に統一王朝がない
  23. >>28
    日本は銅器と鉄器が入るのにタイムラグがないのが理由。
    ☓マークも現代の○☓と同じ意味とは限らないしね。
    専門じゃないんで詳しいことは言えないが、どこかの首長や工房の印の可能性もあるんじゃないかな?
  24. >>29
    スサノオのお妃が、稲田の名を関しているのが示唆的だよな。
  25. アサヒ史観というのはそれで気になるな
    小説なら貧困よりこっちを書いてみてほしいわ
  26. >>32
    ありがとう。参考にします。
  27. >>18
    多分、天武天皇が…日本も中国の様な歴史書を作ろう、、として各地に残る伝承を提出させた
    狭い日本だし言語や文化も大きく違わないから…と安直に考えてたら、、グチャグチャ矛盾だらけ
    よって渉外役を太安万侶 編集・構成を稗田 阿礼で纏めたのだと思うな
    なにせ、神武天皇ですらアホな事をやってるし
    もちろん、天照大神からヤマトタケルまで、失敗や卑怯な戦いまで書かれている…少しは省けよ、盛れよww
    逆方向に改変しているのは負けた方への配慮かな
    コレからも、とんでもない創作話じゃ無いのは確かだね
  28. 出雲の銅鐸てなんの道具なんだ?
    ヤマト王権じゃ銅鐸とかないんだろ?
  29. 地元だが大黒様は天皇家に滅ぼされたと子供のころに聞いたことがあり
    今もわずかに反大和の精神があるようだ;
  30. >>10
    匿名だからと言ってデタラメこいてはいかんよ
  31. つーかな
    出雲はまだ歴史に残ってるけど
    吉備とか阿波の方は完全に歴史から
    消されている。
    阿波国風土記とか幕末まで
    確かに存在していたのに
    維新以降行方不明になっている。
    阿波藩と幕府両方にあったのに消えてしまった。
  32. >>22
    神武は日向から出発したと、古事記には書かれている

    神武東征は、創作なら不自然な話
    史実をベースにしているのだろう

    創作であれば、ふだんの生活で見える山、森、海
    などを題材にするはず
    見ず知らずの遠い所から攻めて来るのは不自然
  33. 出雲の語源は土雲(土蜘蛛)
  34. 創作だっての
  35. 朝鮮に近いあたりがちょくちょく渡来系なのはそうでしょ
    出雲のオオナムチや、宗像のミチヌシノムチのッチは
    韓国の(臣)智のことだと聞いたことある
  36. >>56
    創作と切って捨てるわけにはいかない。

    律令制度ができた後も出雲国の国司だけは朝廷からの派遣ではなく地元出雲が選ぶという特別扱いになっていた。
    出雲には何かがあるのは事実だろう。
  37. >>29
    諏訪のミシャグジや氷川のアラハバキは縄文の神言われてるよな。

    諏訪神社の副宮司だか元は土着神の祭祀してたとか国津系て縄文と関係深そう
  38. >>51
    完全な創作ではなく昔から各地にあった神話を再編集したのだろう。
    当時は九州の方が先進地帯だから大和は田舎大名、
    成り上がりみたいに思われた所はあったので後の
    大和政権が自分たちのルーツを九州としたのもわかる
  39. >>45
    10ではないけど江戸時代まではあまり重要視されなかったのはその通りなのでは
    平安時代の矢田部公望も日本紀講筵で日本書紀の参考文献としては上宮記、先代旧事本紀の次にしてるし
  40. >>57
    残念ですがwポリネシア系で中国や沖縄に近いらしく、つまり縄文系
    出雲族 DNA で検索すると良いですよ
    ttps://readyfor.jp/projects/izumo17990/announcements/169147

    他にもポリネシア当たりの民族衣装やら住居を見るとDNAルーツ等見なくてもピンときます
  41. はいはい韓国韓国
  42. 出雲は200BC〜200年において青銅移入、銅鐸製造の中心であった。
    記紀のヤマト朝廷はこれを知らないもしくは消した。

    同様に、350年以降、400年〜500年の倭の五王時代には、漢名を名乗った王が
    百済、新羅建国後の半島進出利権と幽州刺史高句麗王との交戦権で外交を重ねた。
    これも、記録されてはいない。

    記紀は、万世一系の日本神道のバイブルである。
    これの意味するところは、この間の万世一系の皇統は存在していなかった
    と、言う事である。

    本州での200BC〜200年出雲系領主国の連携〜
    倭人伝に見える公孫氏、韓王朝の滅亡での対魏防衛の必然による
    主に神話として豪族の正統を記した日本海ルート諸国と瀬戸内海諸国、
    筑紫の合流及び関東方面の軍事参加が、奈良政権を構成した。

    これは、軍事覇権ではなく各地の荘園領主である豪族が
    中央後宮性治で権勢を競ったものだろう。

    出雲系〜物部系〜蘇我系〜藤原系、その他もろもろ
    であって、古代豪族は、どれも皇室で良いんだけど?

    女御更衣あまたさぶらひ給ひける のに、
    中央後宮性治で忙しい神功皇后が漢四郡時代に半島で戦争始めるわけが無いw

    記紀のデタラメは、歴史を惑わす神話なんだから良いとして、
    350年百済、新羅建国以降、王子が人質で招かれているが、
    これは日本の防衛前線国の一領主の代行として来ていたはずである。
    対馬の国境は、百済滅亡の660年、てか、記紀神話成立以前には無い。
  43. >>65
    紀元前2,3世紀前後は朝鮮半島では問題が起きていてほぼ外交停止してたんやで
    人質がいたから偉いさんが朝鮮人と言うのはアホ過ぎる
  44. >>65
    倭国を日本国は併合した←
  45. >>4
    朝日の記事じゃなくてスレ立て人があなたみたいな人を
    煽るために付けたタイトルみたいよ
  46. 塗り絵してるからいけない。
    当時の王朝が均一に支配してるのは島国ぐらい
    そりゃ、ローマ人いるだろう
  47. >>60
    九州といっても隼人族と同族だよ
    先進地として考えるのなら北部九州だろ
  48. 古事記の最初の方に書いてある神々は現代まで繋がっている名称も多く
    日本の古代から続く有力者の人名や土地等の名称だと推測される。
    もしかすると古事記にまとめる前は何かにつけ人や土地等を神と名乗ってたり崇めたりしてたのかもね
    日本の宗教はシャーマニズムが元だと言われるし一致する
  49. みまな政府をかくす
    朝日かな
  50. ブリテン島をフランスの領主が占領して 建国したが
    歴史は それ以前の土着民の歴史が残った
    英国歴史と同じ
    ヤマトが支配する前のワ国の歴史は 出雲系の歴史だ
  51. >>66
    半島南岸にも多数あった倭人国が、
    漢四郡を落とした高句麗を追って百済新羅を建国したのは350年。
    青銅移入は200BC〜246年魏の韓制圧までの話。

    >紀元前2,3世紀前後は朝鮮半島では問題が起きていてほぼ外交停止
    国家が無いし、歴史も残らないのに外交ってなんだ? 異次元の歴間認識か?
    漢四郡は北部広範をかんたんに植民地宣言してるし半島南岸は原住民居たのか?

    南岸なら200BCまでの倭人は輸入ベースの国造りで鋭意移民中だろ?
  52. >>72
    そもそも古代では神とは死んだ人間の魂を祀って名前を与えたものでしょ
  53. 祟らないように祀った神が多いだろ。
  54. >>68
    遣隋使当時の話だけど、記紀の前提となる状況は出来てて
    日の出る処の天子 と名乗った。

    三国志での倭国は卑弥呼の筑紫だが、大和朝廷が併合した
    というのは、軍事覇権ではなかったにせよ、ある意味正しい。
    記紀の言う聖徳太子は、邪馬台国九州説なのであるwww

    筑紫地方領主の姫や皇子と中央政権内との血縁などが武人政権以前の政治。
    源平時代の軍事覇権開始時代から、軍事政権の日本統一、
    信長までの歴史時間はまだまだ、長い。

    ちなみに、領地の中央集権の完了は、太閤検地である。
    確立は江戸時代という事になる。

    地方領主の王権は、薩摩琉球のパリ万博をテレビで見たが、
    廃藩置県まであった。
  55. 歴史の無い国が日本の歴史を貶しているだけ
  56. 今の出雲は元出雲から流れた人たちの土地
    元出雲ー出雲大神宮は丹波にある
  57. >>1
    どうせパヨク系マスゴミだろ、と思ったら朝日だった
  58. 出雲の四隅突出墳丘墓は西暦150年ころまで遡りうるというのが最近の古墳学らしい、前方後円墳の初期代表の纏向箸墓が卑弥呼死の250年頃に相当し、出雲の四隅突出墳丘墓はさらに100年ほど古い。
    もっとも古いものは三次(広島ミヨシ)の山間にあるが、100年ほどの間に出雲伯耆から越前まで日本海沿いに90基ほどある、という。

    これを持ち込んだのは、東濊勢力、で崇神の数代先祖かもしれない。
    石積方墳は高句麗・濊の系統、外的緊張が高まり倭的部族ボス談合社会から集権的軍事政治体制(身分差=墓も差別化)が必要な時代を迎えるが、
    これを先駆的に倭にもたらしたのは、九州勢でも近畿勢でもなく、漢や高句麗と長く戦った来た東濊系の人びとで入り口は西暦100年頃の出雲だったという仮説。
  59. 紀元100年前後は、高句麗太祖王の暴力専横が激しく、北方中国的軍事政治にたけた東濊の一派がこの圧迫を逃れ、(北九州などとくらべれば油断あった)出雲に来たとしても不思議ではない。
  60. 茨木のり子や司馬遼太郎は、日本の日本海沿岸地方の方言と朝鮮語、満洲語の類似性、関連性を指摘している。
    モンゴル人(力士)が日本語を話す際にズーズー弁の母音力学であるウ→オ、イ→エ、イ→[ɨ]←ウの変化が頻繁に観察されることから、アルタイ系言語の発音特性の可能性があるという。
    なお、出雲の住民はツングース族であったという説もある。
  61. 出雲には朝鮮半島から渡ってきたツングース系民族が多く居て、縄文時代には先住民族の縄文系と混合混血していました。
    このため、出雲は、ツングース民族の居た朝鮮半島(特に東側)と繋がりが強く、その影響を受け易い場所だったと思われます。

    また、ツングース系は畑作民族であり、そのためか水田稲作の始まりは他の地域より少し遅れた感じがします。
    それでも、水田稲作を導入し余剰農産物が生まれますと、朝鮮半島の仲間と交流するなかで、王が生まれ、青銅器の製造、古墳の製造など、他の地域にはない独自性が作られていったと思われます。
  62. また、出雲と大和(畿内)との関係ですが、ツングース系の影響多少の違いはありますが、同じ民族です。
    国譲り神話に見られますように、出雲は小国でもあり平和を優先し、無用な戦いはせず、6世紀以降の畿内政権の日本統一事業に参加していったと思われます。

    一方、北九州地域との関係ですが、そこはマレー系が多く言葉が違います。
    このことから、北九州地域は、同じマレー系の朝鮮半島西部の稲作地帯(後の百済)と関係が深く、ツングース系の出雲とは関係が弱かったと思われます。
  63. 元出雲は丹波の亀岡だから、元々日本海側から畿内まで影響があった海人系の種族じゃないの
    それが九州系の勢力と手打ちして連合するようになったとか
    俺が子供の頃、前方後円墳は円墳文化圏と方墳文化圏の連合の象徴と習った記憶がある
  64. これはね〜、touhouprojectというジャンルがおかしなことをやっててね〜
    どうやら変質者の教条的イデオロギーになってるみたいなんだわ。
    例えばこれ↓

    東方元ネタwiki 2nd
    https://seesaawiki.jp/toho-motoneta_2nd/d/%b1%cc%cc%f0%bf%db%cb%ac%bb%d2

    テンノーヘーカが何と仰っても採用できません。
    悪いな
  65. >>93
    松本の弘法山があの地域で稀な畿内式の前方後円墳だと判明したのは意外にも四十年ほど前のことだったらしいけど
    一説に建御名方が埋葬されたという話もあるね
    年代的に数百年ずれてるからそれはないと思うけどロマンはあると思う
  66. >>75
    ある本には、二十一年に任那は滅んだとある。
    総括して任那というが、分けると加羅国(からのくに)、安羅国(あらのくに)、斯二岐国(しにきのくに)、多羅国(たらのくに)、率麻国(そつまのくに)、古嵯国(こさのくに)、子他国(したのくに)、散半下国(さんはんげのくに)、乞滄国(こっさんのくに)稔礼国(にむれのくに)
    合わせて十国である。

    喙国は?(トルコ?)
    卓淳国は?(柔然?)
    旱岐は?→可汗?Khaghan?
  67. https://ameblo.jp/believe-mirai/entry-12610797558.html
    なんで、こんな
    アメリカ大陸に出雲文字?🤔
  68. 松江周辺の神社のスサノオは素戔嗚と書く。
    須佐男の方がカッコいいのに。
    お宮参りといえば熊野大社(八雲町)か佐太神社か武内神社(八幡町)か神魂神社。
    主祭神がスサノオの所あんまり行かない。
    出雲の土民は天孫族にやられる前にはスサノオにやられたんでは?
  69. 服従でも連携でもなくてホームレスの歴史
  70. 出雲王国は大和に滅ぼされたのは確かだろう。
    関東に出雲系の神社が多いのは出雲系統から逃れた豪族が多いんだろな。
    明治天皇が東京に来て先ず最初に行ったのが出雲系の氷川神社(大宮)だしな。
    祟らないように。
  71. 出雲の土民って排他的閉鎖的で妬み僻みで足の引っ張り合いが得意。上小阿仁村そっくり。俺と母親は出雲根性言うてる。
    日向やら大和やらに大己貴命に少名彦を消されて離散して一部は秋田迄行ったかもね。
  72. >>103
    須佐之男はそのまま須佐の男
    朱砂王で鉄と水銀の王
    素戔嗚尊で素を失って嘆く男ということになる
    素は白で鉄を指す
    朝廷は鉄資源を欲した
    そこで鉄の王であったスサノオを様々な罪名を着せて髪を切り爪を剥がし縛り付けて神逐として川へ流した

    佐太の猿田彦は朝廷側についてウズメを娶って朝廷に協力したが、東征の後にウズメによって殺された。朝廷は猿田彦の財産を全てウズメに継承させて奪い取った
    武内宿禰は住吉大神とされる存在で蘇我氏の祖とされる。これはスサノオと同じ
  73. >>79
    例えば、大谷翔平が神になったら...

    ウツナゲドチモスゴノミコト

    などと付けられる
  74. >>108
    それは考え方が違う
    朝廷は出雲臣を足を引っ張り合うように支配した
    小集団にして一方を優遇し、一方を冷遇する
    すると団結することなく、互いに争うようになる

    猿田彦に代表される朝廷に従った裏切り者を猿と呼び、隼人たちのように朝廷の騙し討によって征服され支配され使役された人々は犬、狗と呼ばれた
    犬猿の仲という意味はここからきているのではないだろうか
  75. 天孫族は頭がいい

    天とはイデアのこと

    形になる前の思考が得意な族が天孫族
  76. ◯◯大社と呼ばれる神社は下記の通り

    出雲大社
    宗像大社
    春日大社
    住吉大社

    意外にもたった4つしか無いのである
    しかも全て西日本にしかない
  77. dhc会長
    https://pbs.twimg.com/media/E26gw82VEAUuLHP.jpg
    https://pbs.twimg.com/media/EpS8gzUUwAEyH5l.jpg
    「ところが最近、遺伝子の研究により、日本人は彼らとは全く関係のない民族だということが分かってきました。
    アジアの中でも唯一日本人だけがヨーロッパ人に近い民族だったというのです。
    顔は似ていても、どうして中国人や韓国人とはこうも違うのだろうと思っていたことが、ここへきてやっと氷解しました」
  78. ヨーロッパ人からは最も離れた民族の方がいいな
  79. 邪馬台のオロチ
  80. 侵攻する準備は完了しています
  81. >>113
    多賀大社とか熊野大社とか他にもいろいろあるけど、正式に大社の称号だったのは出雲(杵築大社)だけだったはず
  82. 漫画とかアニメの設定ミスを探してる様なものか
  83. >>123
    出雲系は出雲大社だけが大社(たいしゃ)で他は大社表記でも「おおやしろ」と読むんじゃなかったか?
  84. 我々のこの優勢には、
    あまりにもあまりにも、棘符、イベスレ、板板・・・

    そういうスレ民たちの生き血を啜って、手にした優勢・・・
  85. 古事記って語り部の稗田阿礼が頭で覚えていたことを 文章にしたんだろう
    半分神話なんだから そんなに周りを忖度したとは 思えないけどね
  86. >>127
    日本書紀と概ね一致してるけど
  87. >>51
    大和政権そのものは吉備、出雲、東海、北陸などの連合政権よね。
    天皇家は南九州の隼人から分かれた勢力で後に王位を簒奪した後発組?
  88. >>130
    そら古事記を朝廷に都合よく書き換えたからでしょ
    同時期に始めたのに完成が20年くらい違うんだし
  89. >>132
    古事記の方が古いんじゃないの?
    書き換えたとしたら 日本書紀の方じゃないの?
  90. >>61
    古事記が日本書紀ほど重視されなかったのはたんに国が編集したが物語調だったからかもね。
  91. >>125
    逆のようだ。出雲だけおおやしろ
  92. 中海はいい港になるだろうが、年間200日曇or雨で冬は寒くて斐伊川は暴れるし意宇川の三角州なんか大したことないし、何があの辺に王朝ができるポテンシャルになったのだろう。やっぱり鉄?
  93. 古事記は内容がクソな書物だからな
  94. 高天原=閃きやイデアの元

    神=働き、機能

    天孫族=閃きやイデアが得意な族

    国津族=実際の物作りが得意な族
  95. 出雲大社の柱の痕跡凄いよな
  96. >>131
    元々、博多湾周辺の奴国を
    構成していた安曇族が
    日本全国に進出していたが、
    大和にはニギハヤヒを始祖とする
    物部氏が進出していた。
    そこに吉備から進出して行ったのが
    御間城崇神であり、
    記紀に書かれている通り、
    各地に四道将軍を派遣して、
    日本の支配体制を確立したのが
    大和王権の始まりである。
    従って崇神朝は連合政権ではない。
  97. >>124
    同人誌から原作を復元してる感じ?
  98. http://img-kokugakuin.com/assets/uploads/2018/02/rdj6204.jpg
    鎌倉時代まで48mで残ってたって所がまた
  99. 出雲大社って今の倍ぐらいあったんだよな。日本は『ヒドい殺し方をした相手は、悪霊に
    ならない様に、御霊として立派に祀る』って風習があるから、よっぽどヒドい方法で服従
    させたんだろうな。
  100. 出雲が大和を従属させていた時期があるんだよ。

    だから、出雲の建造物を抹消してなお、口伝や神話、そして古事記が創られた当時の人々の記憶に、
    出雲が残ってしまっていた。
    流石にそれを無視することはできなかったわけ。

    さらには、平和的な国譲りを神話として残さねばならなかった
    つまりわざわざ出雲ではなく大和が正当だと表記しないといけなかったのは
    もともと出雲が支配層であり
    平和な国譲りなどではなく、むしろ謀略など、正当性の無い手段で出雲を従属させた裏返しでもある。
  101. 記紀の物語は、
    実際には吉備の御間城氏、
    日向の生目氏、筑紫の丹波氏の物語を
    一系にまとめたモノである。
    そういった意味では、
    出雲は縁戚関係の無い
    別系統の氏族と言う事になるだろう。
  102. 神話は歴史じゃないからな。
  103. >>164
    それは神武以前は神代だから全て想像の産物で、神武以降の部分からは史書となるって話か?
  104. どっちにしろ文献はあくまで参考資料にすぎないから決定的なものが出土してこないとな
  105. >>165
    そういう風に書いてる人もいたけど、そこまで極端に言えるかは疑問だと思ってる。
    ただ、編集の幅は結構広かったんじゃないかな。
    もともとが神話なんだし。
  106. >>164
    現代でも鳥島あたりで国産みしてるじゃん
  107. 三国志時代の呉の年号を刻んだ銅鏡が、
    日本の鳥居原狐塚古墳から見つかっているんだよね。
    赤烏元年鏡と呼ばれているものね。

    呉から日本への経路を考えた場合、
    三国志時代の呉と魏は仲が悪かったから、
    中国沿岸沿いから朝鮮半島を経由するルートは使えないはずなんだよ。
    つまり呉から日本へ直接来るルートがかなり昔からあったと考えるのが自然。

    稲作なんかも同じ。
    中国南方の稲作が、寒冷地である朝鮮半島をわざわざ経由するのかな?という疑問。
    直接日本に来たんじゃないの?と考えるほうが自然だと思うよ。

    それなのにこのルートについて言及している人がほとんどいないのが不思議。
  108. >>165
    史実と言えるのは、崇神天皇からだろ。
  109. 例えば、元々大和河内に土着していた
    長脛彦は滅ぼされてしまったのだ。
    物部氏もまた同様である。
    一方、出雲国造は大和に従って、
    領地も保った為、記紀の一部門を確保したと言えるだろう。
  110. >>165
    物語として書かれているのなら、当時の最高頭脳が纏めたんだから、もう少し統一された流れがある筈だろ、なろう作家でももっと読める話に書くよ
    神がかり的なのも有れば、無茶苦茶現実的な話も有る、しかも時系列的にもおかしいし
    更に、神武天皇やヤマトタケルの話など、この手の、話はワンサイドゲームな流れで、味方は英雄ばかりに書くはずなんだけど…むしろ逆
    もう少し盛れよと言うほどに、ショボい卑怯な戦いばかりだし
    逆に、古代史・軍事的に見れば有り得ない戦いだし
  111. >>172
    当時どれだけの書物が存在してたかすらわからないのになろう作家並に読めるものを書くという根拠がわからん
    現代の作家並に書物に触れて文章作成する機会があったんか?
  112. >>172
    古事記の神話編のテーマは天皇が日本を支配することの正当性だから、
    そこにかかわること以外はあんまり手を加えなかったんじよないかな。
  113. 記紀じゃなくて歴史としては
    BC100年位からで、吉備、出雲、阿波、越、三河辺りまでで
    銅鐸廃棄位のタイミングで機内中央政権がまとまって来るんじゃないかな?

    四道将軍は平定じゃなくて、集まってこないと無理w
    崇神も繰り下げ説有るけど、神武も神功も大和武尊もみんな同時になっちゃうw
    神話の求心力設定が記紀の無理筋の根源だね。

    倭人伝の250年筑紫参加、350年百済新羅、倭の五王物部王権、
    500年から蘇我王権、大化の改新から藤原系主流で、武家による統一時代があって
    明治の万世一系の「無かった王権」復古で、現皇室に繋がる。

    中央集権は、信長秀吉家康が完成させたんであって
    廃藩置県までは、これを受け入れた地方領主の王権が残ってた、
    ってのが、実質の日本の封建時代なんだと思うよ。

    寺や神社で荘園経営したとしても、
    武家になってない公家が何かやったか?
     
    天皇は武家政権時代を通じて日本神道の法王だよ。
    だからつまり、明治維新で、武人朝臣が王政復古とか?
    意味不明なこと言って、間違えてるんでwww

    この際、記紀書き換えて
    天皇記つくっときゃ良かったんじゃないか?
    記紀を越えれる、星新一作品みたいのが、良いよね。
  114. >>13
    安彦良和説やね
  115. >>158
    門脇貞二の本を読んだら、
    出雲大社の設計建築はペルシャ人で、日本海側に多くいて、
    後に(継体のころ?)大和に入ってきたらしい
  116. >>179
    秦氏とか出自は向こうとか言うてるらしいな

    聖武天皇辺で大量に移民してきて神楽やら古墳が巨大化したとか
  117. >>174
    神話編のテーマはイデアだよ
  118. こうやって目先の誘導に釣られて
    チラつかせられた証拠品を基準に、あれこれ掘り下げようとするのが日本人の欠点だな
    真面目というか職人気質だからしょうがないのかもしれないが
    そんなままだとオレオレ詐欺に引っ掛かるお年寄りと同じだよ

    普通に考えて、国史の編纂は支配権の確立であり
    権力を増大させる動機は敵対勢力の出現だろう

    つまり半島の百済と新羅の紛争に倭国が関与していたが
    倭国の中で新羅派と百済派に別れていたから
    このままでは埒が明かないってことで国内統一する必要があり
    倭国連合を大和政権に吸収し
    これからみんなで一つの敵に当たるぞ、出自は違えど皆一緒の仲間だぞという
    誓約書が日本書紀なんだよ
  119. >>187
    百済と新羅はどちらも313年、漢四郡撤退以降の
    高句麗追討の為の、日本の後援で成立している。

    これによって、日本は牛馬と鉄の国内資産と言う富国強兵に成功した。
    高句麗が350年幽州刺史、楽浪候として中国貴族に成ったので・・・

    400年以降、倭の五王は、南朝に半島利権と
    高句麗交戦の主張=倭人伝にもある韓制圧戦参加への『檄告諭』のお返しw 
    の為に、出かけた。
  120. >>132
    斯乃チ 邦家之經緯ニテ 王化之鴻基トナス焉 故、惟フニ撰錄ス帝紀ヲ 討覈ス舊辭ヲ 削リ僞ヲ 定メルト實ヲ欲シ 流エム後葉ニ。時シテ有リ。舍人姓ヲ稗田、名ヲ阿禮。年是レ 廿八爲シ人聰明ヲ 度リ目ニ 誦ヘ口ニ 拂イ耳ヲ 勒ム心ニ。
  121. >>169
    三国志時代の呉は山東半島や遼東半島の港をもっていた。
    当時は、華北部の陸路は魏の支配下だが、海路は呉の支配下だった。
    たとえば公孫滅亡時には、呉は山東経由で水軍を出し、公孫を支援するつもりだったが間に合わなかった。
    (司馬仲達の陸路移が予想より早かったため)

    だから、当時の呉はその気になれば、朝鮮半島の西岸ぞいに倭国に来る水運力はあった。
    会稽から北九州へ向けて東シナ海をつっきる危険なルートを取らずとも、日本列島に来る能力はあった。
    しかし実際に来たかどうかはわからない。
  122. エルサレムの語源はエルシャローム 平安京という意味だ

    そしてエルサレムの北東にあるガラリヤ湖、琵琶湖という意味だ

    あとはわかるな?
  123. >>194
    もっとよろしく
  124. >>194
    平城京と長岡京は何語なん?
  125. 元々、出雲族は日本海の対岸、沿海州にいたオロチョン族なん
    だよね。そのオロチョンが日本海を渡ってきて、出雲の定住して
    王国を作った。
    で、ヤマタのオロチ伝説の「オロチ」はこのオロチョン族の
    ことで、スサノヲが出雲のオロチョン族を退治(征服)
    したことの伝承だよ。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%97%8F
  126. 魏に圧迫されて呉と通じた遼東公孫氏が即座にそれを反故したことからも呉の港まで在るというのは有り得ないんじゃないか
    仮に倭が呉に鞍替えなんかでもして貿易圏や鉄利権などを獲られると魏に対抗するどころの騒ぎじゃなくなるわけで
    まもなく司馬氏によって幽州が開通した頃でも倭の朝貢は魏に対してのものなので、朝鮮の貿易圏というのは紀元前期から河北が握ってると思うよ
  127. 新羅、西羌小醜、逆天無狀、違我恩義、破我官家、毒害我黎民、誅殘我郡縣。我氣長足姬尊、靈聖聰明、周行天下、劬勞群庶、饗育萬民、哀新羅所窮見歸、全新羅王將戮之首、授新羅要害之地、崇新羅非次之榮。我氣長足姬尊於新羅何薄、我百姓於新羅何怨。而新羅、長戟强弩、凌蹙任那、鉅牙鉤爪、殘虐含靈、刳肝斮趾、不厭其快、曝骨焚屍、不謂其酷。任那族姓、百姓以還、窮刀極爼、既屠且膾。豈有率土之賓・謂爲王臣、乍食人之禾・飲人之水、孰忍聞此而不悼心。況乎太子大臣、處趺蕚之親、泣血銜怨之寄、當蕃屏之任、摩頂至踵之恩、世受前朝之�コ、身當後代之位。而不能瀝膽抽腸・共誅姧逆・雪天地之痛酷・報君父之仇讎、則死有恨臣子之道不成。

    新羅は西???
  128. >>172
    ヤマトタケルは英雄のはずが神を軽視したため妻を失ったり自分もそれで死ぬんだよなぁ。仲哀天皇も神託無視したため狂死。ここんところは後に存在を消された悲劇の王がモデルなのかもね。
  129. >>1
    つ呪う
  130. >>171
    出雲国造家は天孫族なんだけどね
    本来の出雲族とは直接的には関係ない
    だからこそ杵築大社は一宮ではない。むしろ尾張の方が出雲族に近い
  131. 信じた人達をみんな突き落としていった
    朝鮮人が祟られないわけないですよ

    先住民や戦争 今の日本人も犠牲にされてきたわけですから
  132. 日本書紀も古事記も漢文で書かれている以上、対外的要素が強いものなのだろうから、
    出雲関連の下りは単純に出雲地方の権益を中国の侵略から守るためにでっち上げたんだと思うけどなぁ・・・

    出雲VS大和の話ではなくて、なぜ大和が出雲を支配しているのかというでっち上げの物語。

    国譲りという形になっているのは迫り来る侵略者に対する牽制だよ。普通に考えて。
    現統治者が平和裏にその地位についている以上、侵略という手法をとると統治するのに苦労しますぜ?という脅しだ。
  133. 文明があれば交易する
    必ずしも一方的に文化が押し付けられるわけじゃないんだよなぁ
    例えば漆器なんか縄文人の遺跡から世界最古の遺物が出てきてる
    (9000年前)
    だから水稲も日本原産の可能性が…ってwiki見てたら資料保管してた施設
    年末年始で閉館中に火災起こしてた

    よっぽど日本発祥てのは都合悪いんだな
  134. 野球族 大谷と中田翔を派遣
    中田翔「サッカー場をゆずれコラ」

    本田圭佑「それはごもっともだけどオレの考えは違った」
    中田翔「何、その考えとはなんだ」
    本田「大谷のサインとサッカー場を交換するというのはどうだ?」

    中田翔「俺のサインは?」
    本田「不要」
  135. むしろ日本列島は豊かすぎて稲作が中々広まらなかったというイメージがあるわ。
    縄文=豊穣の時代、という印象がある。

    あまりに豊かなので何も文明的に進歩しなかった。
  136. プライベートライアンw
  137. >>213
    古事記は漢文じゃないよ
    国文学では常識
  138. >>213
    当時は平仮名が無かったから漢字…漢文になるのは仕方がないよ
    平仮名は平安時代からな、その前の奈良時代は万葉仮名と呼ばれる漢字を当てはめて使ってた…そうな
    記紀が書かれたのは飛鳥時代か? 7世紀頃だがには漢字…漢文を使いこなしてた分けだ
    稗田阿礼が聞き覚えて、、てのは嘘だよ、各地の豪族とかから伝承を書送らせた…のが正解のはず
    都で漢文を使いこなしてたのだから、地方だって読み書きは出来たはず、でないと豪族なんて演ってられないよ
  139. >>18
    だったらもっと朝廷に都合のいい神話歴史にしてたと思う
  140. ヤマトタケルが草薙の剣をふるったのは焼津ではない。
    東京都町田市である。
  141. ヤマトタケルは戦って戦って戦い続けて、最後に疲れ果てて倒れ、白鳥になったのだ。
    現代で言えば、星飛雄馬がそれにあたると言えよう。
  142. いつの時代もおとぎ話のヒーローはカッコいいが、おとぎ話と史実がごちゃ混ぜになるのは昔からだなw
    宮本武蔵が住み盗賊と戦ったなんて伝承が残る地がある。
    吉川栄治は宮本武蔵は資料が少ない人物で殆んどが創作だと言い遺しているのにw
  143. 何か言われてるのは、先史〜古代の日本って中国や朝鮮半島経由で疫病が入るたび
    全滅(したせいで集団免疫がつかず再度同じ疫病で大ダメージを受ける)
    が繰り返されてた歴史があって
    いうほど渡来人との間に諍いがあったわけではないらしい
    むしろ渡来人と生き残った人が協力しないといけないくらい人手不足になっての繰り返し
  144. >>230
    まあ今でも暴れん坊将軍とか人気だし・・・
  145. >>4
    ふ〜ん

    征服されないのに服従するんだ

    ずいぶん従順なんだね!
  146. >>223
    っていうか、日本人は勉強しなくても漢文読めるよ。
    自然に。
  147. >>192
    斯乃邦家之經緯王化之鴻基焉故惟撰錄帝紀討覈舊辭削僞定實欲流後葉時有舍人姓稗田名阿禮年是廿八爲人聰明度目誦口拂耳勒心
  148. >>211
    国造家は出雲臣族で、本来の出雲族は出雲神族だよね。
    後者は、三輪氏とか加茂氏とか諏訪氏など。
  149. >>50
    ほかの国の風土記も知りたいな
  150. >>191 ウリナラファンタジーならぬ、わーくにファンタジーか。(´・ω・`)
  151. >>50
    記紀神話と合わない部分が吉備風土記や阿波風土記にあった
    のかもな。
    吉備や阿波は邪馬台国の候補地だから、それらの風土記が消
    されたのかも。
  152. 古事記は中国人に書かせたから漢字の使い方が完璧
    しかし日本書紀は日本人が書いたから所々で字の使い方間違えてるんだそうだよ
    漢文は読めても漢字を使うのは8世紀の朝廷でもまだ完璧ではなかったみたい
  153. あの大きな縄縛りや、巨大古代神殿はちょっと大和朝廷とは違うセンスがあると思わざる得ない
  154. 元の最古の出雲大社には巨大神殿があったというが、日本の古代の神道に人を収容するような
    建物は概して無いのが通常な点からすれば、異様に見える。
    伊勢神社も元は神殿が無かったし、日本最古の神社の三輪神社も神殿は無い。
    出雲神社の最古の神殿が出来た時点で仏教と習合していたのではないか?
    それが4世紀頃のことだったのか?
    伊勢神社も仏教と習合して巨大な神殿が出来上がった。
  155. 新首都は出雲にするしかないな
  156. 🇭🇺uram→🇯🇵恨む
    🇭🇺atyam→🇯🇵おっちゃん
    🇭🇺kutya→🇯🇵くぅちゃん
    🇭🇺palacsinta→🇯🇵ポロチンゴリラ

    しかし、どう間違えたらこうなるんだ…
    😅??
  157. 天皇家の否定にはならない。
    ただ、皇紀は変わるかもな。
  158. https://youtu.be/NFjpHHeYGBo
    あの、そのまんまな発音対応じゃないと
    借用したと言い切れないんじゃ無いだろうか。

    「書物を書いた人が」「訛って」記録しただけかも知れないし。
  159. >>243
    出雲大社はランドマークだからね、あの高い所で毎日火を焚いてたそうな…まさに灯台だね
  160. 色々ヒント隠れてる

    新羅、更舉白旗投兵隆首
    この頃から白旗?🏳
  161. >>187
    唐に敗北して国史の提出を求められた海外向けの日本書紀、
    国内向けの正当な国史が古事記という説
  162. 古事記読むと皇室の先祖は卑怯者や嘘つきが多くて驚くわ
  163. >>231
    全滅までいかんでも、半分になったと。
    記録に残る最古は、大神神社の創建に関わる崇神天皇の時代の疫病だな。
    次のでかいのは、奈良時代の大仏を作った時の藤原兄弟が死んだ天然痘じゃないかという説のあるやつ。
    次が平安時代の祇園祭が出来たときのやつ。
    小さな流行はもっとあったろうけどな。
  164. >>243
    でっかい神殿うぃ作らせたのは崇神天皇じゃなかったな。
    国譲りの時点では神殿については書いてないような。
    「ちゃんと祀ってやるから」とは言ってるが。
    崇神の時に天忍穂耳命の11世孫に「これからはお前の家が祀れ」だったような。
  165. >>243
    人は収容しないよ。
    神さまがいるだけだ。
    「おみや」だから、「屋」の尊称の「み」がついて、
    さらに「お」をくっつけてるw
    後に漢字で「宮」になってるが。
    小さな祠が本来の形だろうな。
  166. >>256
    唐さん唐そん、あんたらに負けたのは倭であって、ワテら日本やねん
    仲良くしよや!とりあえず宴会や!

    え?証拠?ほら、この神話読みーや!邪馬台国とかなんやねんな〜もう!ワテらはず〜っと日本やでっ!!
  167. 五重塔はやたら雷が落ちたらしいが出雲の神殿も真っ先に雷落ちそうなところが
  168. ちなみに現代の五重塔はちゃんと地面までアースしてるから雷も大丈夫だそうな
  169. >>265
    出雲大社は何度も燃えてるし、倒壊もしているらしい
    そしてその度に背が低くなった…とか
    今なんて他所と変わらん高さだし
    灯台としての高さが欲しけりゃ、石積みでもなんでも基礎を高くすれば良かったのに50m位なら簡単だろ
  170. >>267
    出雲は最初は200mくらいあったんじゃないかな
    でたらめだけど
  171. >>264
    日本国内では日本書紀を通常の正史としてたからそれはないだろ
    古事記はうちうちのものだし
  172. 朝鮮半島南部で鉄資源の利権を牛耳っていた倭の宗家(天孫族)
    寒冷期となり豊潤な日本列島に天降りを始め(移民・開拓運動)、特に製鉄に適した出雲や吉備に積極的に卸す(スサノオが管理)
    高句麗が力をつけて倭宗家は半島での影響力がなくなり、列島側の権利主張(天孫降臨、国譲り)
    高句麗に対抗する過程で建国観が変わり中国集権王朝式に移行
    宗家を天子とする神格化の過程で汚点となった半島側の歴史を断絶、国名も変えた上で分家の歴史や様々な権力者を集束化させて大本営発表(古事記)、天子という名称は著作権侵害だったらしく怒られたので地味に変更
  173. でも日本に文化を伝えたのは韓国ってことは意義ないよな。猿を人間にしてあげた。
  174. >>272
    日本語でたのむ
  175. >>271
    ボクが考えた最強の日本古代史
  176. >>273
    横レス失敬だが猿と人間を弁別する分水嶺が
    すなわち文字文明の有無と仮に定義すれば(特に"思想"の伝来にあるなら)
    これはやはりこの地に「人間」としての文明を到来させたのは
    偉大なる大韓であったと思うよ。

    …思うよ、というか大韓からの渡来弥生人が遮二無二この列島にやってきて
    先住民族である1万年この列島に居た真の日本人たる縄文人を
    駆逐して国土をジャックしたわけでさ、我々現世日本人の
    圧倒的多数が大韓由来の渡来弥生人であるように
    本邦の例えば文字文明の嚆矢は大韓にあり、じゃないかなあ。兄の国w

    >>259
    まあ滅茶苦茶だよねw アナーキーだよねw
    皇祖皇宗はもうちょっと仲良くできないのかと
    そういう気がするね。

    だから古事記の最後は推古天皇の本紀、
    まあ名前と皇居と治世年数と陵をアリバイ的に
    ちょろっとかかれているだけどなんだけどさ。
    その摂政たる聖徳太子、まあ古事記には名前とか
    用明天皇の息子ってところで数文字出てくるだけですけど
    それが「和を以て貴しとなす」とか言い出したのは逆説だろうなあ。
    大体、推古帝の前帝、崇峻天皇(叔父)からして臣下に弑逆されるなんて
    前代未聞のやらかしをしているわけだからねえ。
    しかも暗殺をオーダーしたのは蘇我馬子、聖徳太子の盟友だぜえ()
  177. >>277
    勝手に定義するならなんとでも言える
    馬鹿なのかな?
  178. まずイザナミ・イザナギは1世紀半ばには、淡路島に鉄工所の五斗長垣内を立てたと思う
    五斗長というのはイザナミ・イザナギ、アマテラス、スサノオ、ツクヨミで、船5隻で行ったのかも
    そのころの大阪には別天津神の部族がいたりして簡単に入れなかったので、淡路島に基地をつくった

    2世紀ごろ邪馬台国が進出してきて近畿の争いが終わったそうだが
    そのころ、アマテラスの息子が別天津神タカミムスビの娘と結婚しているから
    卑弥呼はアマテラスのことかも

    一方、スサノオた大国主尊やその兄は諸国に遠征して、出雲も開拓
    九州や出雲にはスサノオの神社がある

    アマテラスの子孫のほうは初代天皇が東征して、10代天皇ぐらいから大阪に定着
    この1〜10代の天皇は本当は3,4人の人物かも

    九州側では、6世紀に10代天皇を八幡神にして宇佐神宮を建てて
    7世紀には、宇佐神宮が出雲に松崎八幡宮を建てた

    でも、出雲のスサノオの一族は、別天津神とは結婚してないわけだからアマテラスの天皇一族とはちょっと距離あるんじゃね
    スサノオはアマテラスに嫉妬してたらしいし、ヤマタの(八幡の?)オロチ退治もやっている

    でツクヨミはどこに行ったんだ
  179. アマテラスは天皇の祖先じゃないよ
    天武の時代に伊勢に借りをつくったから皇祖として祀らなくてはいけなくなっただけ
    だから一族の女性を斎宮として捧げたし明治まで伊勢へ行幸しなかった
  180. 四夷なんて概念からも分かるように当時の天地は中国王朝側なんだから朝鮮半島側への進出を天くだるとは言わんだろうなとは思う
  181. >>282
    伊勢神宮とアマテラスは直接的には関係ないよ

    アマテラスとその神社は丹鉱業家でもあったが
    三重で大きな丹生鉱山が発見されたので
    伊勢神宮に先人のアマテラスを祭っただけ

    ただ水銀汚染で多くの人が死んでいたから
    天皇は行幸しなかったんだろう
    伊勢が祭ってるだけだから
  182. 古事記を義務教育で詳しくやれ
    自国の起源を勉強しないのは日本くらいだろ
    外人やパヨクの方が勉強してるって
    しかも、間違った内容の教科書で
    国がおかしくなるぞ
  183. 古事記は性教育にもなるからな
    男の出っ張った部分を女のへこんだ部分に突っ込むってのが
    最初の方に出てくるからな
    まぁ男の方から女に声をかけないといけないみたいなことも書いてあるけど
    でもしょせん神話でもあるからな
    神話もユング的には意味あるか
  184. 誰か出雲大社古代の規模で再建しないかな。
    お金目茶苦茶余ってる人いると思うんだけど。
  185. 出雲大社、古代の48丈は無理で
    24丈でも倒れたという記録が残っているそうな。
    それも風雨じゃなくて、晴れた穏やかな昼間に。
  186. 大和族は嘘つきがち
    出雲族は図にのりがち
    だっけ?
  187. >>292
    上古の神殿は32丈96m有ったとか、しかも木製だからなぁ、そんなにデカイ木が有るのかな
    柱に使える直ぐい部分が100mだから、樹高150mから200m無いと無理だろ
  188. >>296
    3本セットを一つの柱にして
    いくつかのの柱で支えていたみたいね。


    その3本セットは繫いでいたんだと思うよ。
  189. イザナギって何語の名前かね
    Eja, Nami, Nagi ならモンゴルっぽいけど匈奴語か鮮卑語?
  190. >>295
    大和族も出雲族も居ないでしょ
    バカデカイ仁徳天皇陵なんて天皇一族が大量の現地人を奴隷化し構築したと言われてるのに
  191. >>292
    歴史を見ればいずれ戦火で焼かれてしまうだろ

    東大寺や豊前国分寺の七重塔
    北魏の永寧寺の九重塔
    北魏でも、福岡の霊泉寺は塔はないが
  192. 近畿一帯の銅鐸族が出雲だよ。つうか3世紀以前の近畿から中部にかけて根ざした列島倭人は方形周溝墓を基調とする出雲同族。
    稲作と竈の痕跡も残っており紀元前に九州から分派した前渡来系倭人だよ。
    大和は4世紀九州から半島を収めた倭国勢力の半島系倭人が近畿開拓に帰還した際出雲勢力と融合されたのが始まりで当初九州倭国王朝下の大倭が前身であったが地方統治の弱体化から台頭し始めた土豪勢力が区別するため大和を名乗り出した。
    元々倭国建築は竪穴式住居と食料貯蔵用の高床式建築であり全て茅葺屋根であったが、半島進出で須恵器にの様な窯業生産手法を吸収し百済の亡命で瓦屋根建築が主流になった
  193. >>304
    出雲と大和は、にっさんとNISSANの違いみたいなもんだわな
  194. >>298
    古語で去来と書いてイザと読む
    意味は心
    ナは那で豊かということ

    豊かな心のキと豊かな心のミ
  195. ありがとう陶淵明か
  196. 魏志倭人伝の投馬国はイズマ=出雲なんて説もあるけどよくわからんね
    仮にそうだとしたらかなり早い時期から倭の諸国は連合していたということになる
  197. やっとまともな相撲が
  198. >>289 くんのカキコを見てから
    その直後の>>290 くんのカキコを読むと
    非常に趣があるんだけど、いいのかい?
    古事記とか教えちゃって。

    290くんがいっているのはイザナキとイザナミのまぐわい、
    要するにソックスのことですけど、これ神話が始まって
    岩波文庫版でいえば3ページも進まないうちからソックスですからね。
    すぐにヤっちゃうw すごい神話だよなあ。ソックスからはじまるんですよ。

    しかも290くんがいうように順番間違えるとねえ
    水蛭子がうまれる。ヒルコですわなあ。
    神々の記念すべき長子、で、これ、流しちゃうんですよ。
    もう滅茶苦茶なイントロだよね、これ。
    教え方、苦労するなアwww
  199. >>312
    キとミのまぐわい
    セックスではないよ

    キミが代

    気と身の神話
  200. で、あの今古事記見ていて思ったんだけど
    290くんがいっている順番が何かっていったら
    イザナキとイザナミが口説く順番ですね。
    女が先に言ってはいけない。
    それを言うとヒルコが生まれるって、それもイマイチ
    なんかよくわからないんだけど、高天原はそういうものらしい。

    さて、そのね、口説き文句が面白くてさ。
    「あなにやし、えをとこを」っていうんだね。
    で、この意味なんだけど「あなにやし」ってのは「あれまあ」みたいな感嘆語。
    「えをとこを」っていうのは「いい男」って意味なんですよ。

    wwwww

    もうねえ、古事記ってのは面白いですなあ。
    上記の解釈から「あなにやし、えをとこを」って現代風に意訳すれば
    「ウホッ!いい男」という聖句になるわけですねw すばらしいwww

    で、イザナミとイザナキが天の御柱をめぐりながら
    「ウホッ、いい男」「ウホッ、いい女」(あなにやし、えをとめを)と
    誰もいない世界でいいながら、ことに及んでたと思うと
    なんというか、平和だなあとは思うね。ヒルコは流されちゃうけど(再掲)
  201. 古墳人が出雲の鉱山を見逃すはずがない
    群馬にまで丹生神社が建っている
  202. >>314
    男が先じゃないと日本語にならないからね

    タはTa、Atだと言葉にならない

    これがイザナギイザナミ神話
  203. わが国の”歴史学者”とやらは、圧政から逃れたいがために嘘でも何でも言う

    だから答えてくれ。
    イズモは降伏したのか、それともヤマト王権が そ う 言 っ て い た だ け なのか。

    只今のレートはキャリア全損で投獄&ロドピン3monthからだよ
  204. 高句麗の北に住んでいたのが穢族

    穢族の北に住んでいたのがアイヌ人
  205. >>314
    古代日本には君主が高台に上って国見をし国の素晴らしさを褒めたたえる
    国褒めと言う豊穣儀礼があった
    褒められた国はそれに答えて
    大地の恵みをもたらす
    イザナミは大地の神格化なので
    イザナギが先に大地イザナミを褒めたたえ
    イザナミがそれに答えると言う形にしないと
    正しい国褒めが完成されないので
    よい豊穣がもたらされないと言うことになるのである
    神話学的には
  206. >>317
    古代日本では、大戦争は起きてないんだよ
    起きてたら絶対に歴史書に載る、針小棒大に改変されて載るはず
    勝った方は絶対に載るからな、先祖の活躍や絶対に無視出来ないだろ
  207. 皆さんはオオサカ閥の政治闘争で優勢を確保したエリアに重りとして乗せられているワケです。
    当然、 死 を 覚 悟 し て やっているのでしょう
  208. これは憲法に謳われる自衛権の行使。
    誰のものでもあらへん悪性資産は破棄されねばならへん
  209. >>316
    「いもせ」や「めおと」は女が先だけど日本語じゃないって話?
  210. >>324
    文字がないから残ってないんだろ。
    先祖の活躍と言っても古代の勢力は滅んで子孫とかいないし。
  211. 出雲では洗練された儀式が行われていたようだ
    天皇家はそれをやんわり欲した
    今の神道の元に当たるものではないかと推測される
    出雲も天皇家には並々ならぬ神秘性を感じ取っていた
    出雲の人や神は奥ゆかしかった
    天皇家はその奥ゆかしささえ尊重したのだろう
  212. 時系列的には定かではないが
    古来 瀬戸内海はとても神秘的な海だったのだと推測できる
    九州から見て瀬戸内海の奥にある大和などはとても神秘的な土地に見えたのだろう
    また瀬戸内海沿岸や近畿地方の人々には瀬戸内海を渡ってやって来た一行はとても神秘的に見えたことだろう
    だからこそヤタガラスなども導くという選択をしたようだ
  213. なぜ瀬戸内海が神秘的か?というと
    それは想像力を膨らませたら推測可能
    日本と中国 日本と朝鮮半島を渡る大海
    そこを航行してきた者なら
    九州から瀬戸内海に至る航路は入り組んでいて
    何か魔物でも潜んでいそうな雰囲気を感じたことだろう おそらく
    カリブの海賊的な それより2000年ほど前だったのか
    実際 瀬戸内海の航行は困難だったらしい
    そんな海を航行してやってきた神武なのだから
    多くの人やヤタガラスなども神秘的なものを感じ歓迎したのだろう おそらく
  214. >>329
    イザナギ=父韻
    イザナミ=母音
    古事記の最初の方は日本語の成り立ちの話だよ
  215. 女から男に告白すると大事にされないから上手くいかないっていう、よくある恋愛指南じゃないの?
    妊娠も望まれないから、腹パンで流産させられる
  216. >>339
    古事記の最初にそんなもんをそんな形で載せる理由がわからないけど
    誰がそんなこと言ってるの?
  217. >>341
    太安万侶と明治天皇
    イザナミが神去るまでに出てくる神は50柱で50音に対応してる
  218. 新約聖書も最初は言葉についての話しがあるから同じ感じ

    はじめに言葉があった。
    言葉は神と共にあった。
    言葉は神であった。
    この言葉は、初めに神と共にあった。
    万物は言葉によって成った。
    成ったもので言葉によらずに成ったものは何一つなかった。
    言葉のうちに命があった。
    命は人間を照らす光であった。
    光は暗闇の中で輝いている。
    暗闇は光を理解しなかった。
  219. 古くは50音以上あったのだが・・
  220. 投馬国=出雲
  221. >>344
    そういう説もあるね
    ただ、古事記編成の時には50音だったことは確かだし、やはりもとから50音だったのではなかろうか
  222. >>343
    聖書に影響された解釈ってだけだから、多分間違いだな
  223. >>347
    明治天皇に皇后が嫁入りした時に一条家に伝わる古事記の神と五十音の対応表を持参して一緒に研究したんだよ
  224. まあ、本当は朝鮮半島の人たちに支配されてたんだろうな。日本は本当は朝鮮半島の属国なんだ。
  225. >>348
    たしか一条兼定がキリシタンだったな
    やっぱり聖書の影響受けてそう
  226. 一条家にしか伝わってないのがそもそもおかしいし
  227. そもそも聖書のはじめに言葉があったの言葉ってロゴス=神の摂理のことだから、一神教の思想だし
    多神教の日本には合わない
  228. >>340
    まあこの解釈がいちばん常識的でまともだな

    日本は竹取物語、源氏物語、好色一代男と、古来より男女問題を扱ったものに傑作が多い

    和歌とかだって基本女を口説くものだしな
    女が口説くものじゃない
    古事記の冒頭はこのこと言ってるんだよ
  229. >>342
    音だとしたら伊弉諾神宮はなんのために怨霊として伊弉諾を祀ってる話になるの?
  230. >>350
    つまり太安万侶が聖書の影響を受けていたと?
  231. >>355
    日本書紀には、淡路の州(クニ)に隠れ、とあるから、その文章に由来して記念に淡路島に作ったのでは?

    淡路島は、ア行からワ行に渡る路(ミチ)の機能群、ということで、50音を表してるので、伊邪那岐大神は50音に潜んでますという

    イザナミは、出雲(父韻)と伯伎(ハハなので母音)の間の比婆に住んでいるということで、母音と半母音を除く40音に潜んでいますというね
  232. >>356
    たぶん
  233. この国の歴史は大半嘘見栄じゃないか神話関係w
  234. >>358
    むしろ聖書が日本神話の影響を受けたと見る
    聖書よりも日本神話のほうが段違いに記述が精緻だから
  235. 太安万侶の先祖が大陸のタイアン生まれの麻呂(僧侶)だった、という説もあるよね
  236. いろはじゃなくアイウエオが成立してたんか
  237. 秦氏登場からの日本の文化力アップは誰も否定できないところ
    日本書紀の月弓君の大量渡来
    秦氏の伏見稲荷、宇佐八幡の神主は秦氏の枝族
    八坂のイヤサカはヘブライ語でヤファエ偉大なりだそうです
    秦氏は自ら出自はペルシャ、メソポタミアと語ってるそうです。
    そして麻生さんは秦氏の末裔なのです
  238. >>360
    聖書も日本神話も古代オリエントの影響
    コーカサスからユーラシアステップ地帯を通って満洲に至った遊牧民が
    オリエントの要素を東アジアにもたらした
  239. 大体アマテラスだの果てはヤマトタケルなんていないだろ
    古代の王や遠征軍を率いた王室関係者はいただろうが
  240. >>373
    いないというのは完全な創作という話か?
    神とは死者の魂を神式で祀って名前をつけたモノと鬼神論で語られてる
    東照権現は家康を祀ったモノだが家康はいたが権現はいなかったって話をしてるのか?
  241. 80年戦争と合わせて日本史も見れば
    支倉が7年もユーロの金で暮らして
    挙げ句帰国後に処罰されないの不可解過ぎるって思うよな?
    しかも、支倉常長は処罰されないのに
    その後、息子の家臣がキリシタンだから家が断絶してんだぞ?
    学者って本当にインチキだよな
  242. 常長が一番怪しいのに息子の家臣がキリシタンで処罰とか
    現代に至るまで節穴過ぎたよな。
    しかもその40年後に伊達騒動起きて改易したら、一関藩がやたら縮小して
    元々一関藩の地域も仙台藩になっちゃってるからな。
    立て続けに可笑しいのに疑念湧かないってどうなの?
  243. >>371
    違う
    キリスト教の影響のもとに解釈する流れがあったんだろうってこと
    独自にキリスト教と照らし合わせて解釈したなら、平田篤胤と違って当然
  244. フェリペ3世の死に方も唖然とするけど
    日本は日本で酷いと思うぞ
  245. >>380
    たぶんキリスト教は関係ないよ
    というか古代から神を追求する人たちは幽を追及する人たちで、その幽は何かというと、言語だったというのが共通的なところ

    聖書の聖という字も耳と口の王と書き、つまり、言語のこと
  246. >>383
    そんな共通はない
    あるなら証拠出せ
  247. >>386
    なんだ胡散臭いやつか
    消えろ
  248. >>302
    古代巨大な大墳墓を造成するのに
    天皇一族はすでに特権階級として
    大量の現地人を奴隷として労働に駆り出すだけの絶大な権力を
    畿内で大墳墓を作ることで大和内外に権威を確立したことを示すことになった
  249. 基本、常識的に解釈できないキチガイは相手にしない
    こじつければいくらでもこじつけて解釈できるからな
    そんなやつ相手にしてたらきりない
  250. 平田篤胤とか過去の人物ほど歴史学とか自然科学とかの教養ないからな
    そいつらの解釈なんかあてになるはずない
  251. 箸墓古墳は主体部を発掘していないので
    結論は出せないが
    周囲から出る遺物はすべて4世紀後半以降である。

    また、各地の箸墓古墳に類似する
    完形前方後円墳はすべて4世紀後半と
    比定されている。
  252. >>393
    ちょっと修正

    箸墓古墳は主体部を発掘していないので
    結論は出せないが
    周囲から出る遺物はすべて4世紀後半以降である。

    また、各地の箸墓古墳に類似する
    完形前方後円墳はすべて4世紀後半以降と
    比定されている。
  253. 出雲国造はどっちの王家でもなくベリヤやスネ夫のポジション。
  254. 本居宣長は、実証的な研究をしたあの時代ではすごい学者だよ。
    読んでみると国粋的な思想は持ちながら(漢心の排斥)、基本的に勝手な自分のイデオロギーでなく、文献から論理的に実証しようとする。
    弟子にも、自分(本居)の書いた説を絶対視してはならない、間違いとわかったら否定せよ、それが学問だ、とはっきり書いて教えている。

    それに比べると平田篤胤は、ただの J アノンだよ。
    神代文字を主張して偽書作りまくり、言ってることがムーの世界。
  255. >>324
    古墳時代は初めての全国規模の動乱が起こって地方の豪族が纏まりを見せた時代だったと思う
    戦国時代に近いか、それより激しい何かがあったかも知れない
    最近になって古墳時代初期の空白の100年間に注目が集まりつつあるのもそういった背景を本格的に調べ始めたからかも
    日本人の由来に縄文弥生の他に古墳も入れようなんて話もあるからね
  256. 大きい古墳作ってるところは
    あんまり戦乱の痕跡がないのよ。

    それだけ、ある意味無駄に人力を活用できたってことかねえ。
  257. >>402
    古墳時代は寒冷化したから大陸から大量に移民が渡ってきた
    移民の中には縄文人の大陸進出組(東夷族)の里帰りも含まれる
    その里帰り族の女王が卑弥呼
  258. >>404
    日本からの影響が大陸にも残っているけど、流動性を考えたら極東は常に人が行ったり来たりしてたんだろうね
  259. 稲作の神聖視
    祭祀における鏡
    前方後円墳
    が大和王権の印
    この三つが確立されて古墳時代となる
    どれも戦いよりも祭祀の形態
    ある程度祭祀(宗教)が統一されたと言うこと
  260. 倭国大乱 気候変動が原因 大雨長雨と判明
    雨の被害が少ない安全な大和地方に人々が集まってくる

    今の線状降水帯の大雨で九州中国地方が被害甚大で、奈良大和は被害が少ない
    のが古代の再現
  261. ヤマトとなのつくものは沈んでしまったな
  262. アラハバキに関してのYouTubeみてたら、気になった事があったから教えてもらいたい。

    元々アラハバキは日本土着の神で出雲族が崇拝してた神らしいんだが、ヤマトにより北へ北へと追いやられるうちに、アラハバキを祀った神社は、ヤマトが崇める出雲の神が主祭神に変わっていった…て説明あったんだけど。
    この出雲族と出雲の神の関係性なんだけど、ヤマト族が崇拝してたのが出雲の神なの?

    出雲っていうくらいだから出雲族が崇めてた神=出雲の神じゃないの?
    そのYouTubeが間違ってるだけなのかなんなのか気になってしまって分かる人いたら教えてもらいたい。
  263. >>409
    崇拝とは少し違う
    怨霊信仰だから、征服した土着の神が祟らないように祀る

    たとえば伏見稲荷の本当の主祭神は龍頭太という秦氏がそこに来る前にいた神だという
    龍頭太を殺し、その土地を乗っ取った上で龍頭太を神として祀ったのだそうだ
    それを深秘として表向きの主祭神と本当の祭神とが違うということらしい
    そこから千年以上たっているので様々な変遷がされて本来の形が簡単には見えなくなってる

    出雲大社は参拝客が本殿の前にたっても神体と向き合わないようにできており、参拝客はその奥にある素我社と相対するように出来ていたりする
    出雲は大国主だが素我に祀られるスサノオが本来の王ということを示してるということなのだそうだ

    神社の本殿や祭神、配置や造り全てに意味があって何かを示している
    祀ってある、崇めているという意味も神社ごとに違うということになる

    ヤマトは出雲を侵略征服した上で国譲りという神話を作り、征服された豪族を大国主という神に祭り上げた
    次は別の豪族に同じことをしてその豪族も大国主と習合させて祀っていった
    同じ神を祀っているのは同じ様な目にあった人々がいたという話なのだろう
  264. >>412
    なるほど!

    そうかそれならヤマトが何故出雲の神を祀っていたのかしっくりくるね
    モヤモヤが晴れましたありがとう!